朝来市・生野町口銀谷 / 定食カフェ
六月一日
人の声の中の、ふつうの一膳
カフェ スパロー(cafe Sparrow)

古い家ばかり歩いてきた耳に、その店は賑やかだった。 硝子戸の向こうから、話し声と、皿の触れ合う音が漏れている。 立ち寄っていない店は、もう幾らもない。その一つが、道の端の、旗を出したこの店だった。 私は、その賑わいに引かれるように戸を押した。
中は、誰かの暮らしがそのまま持ち込まれたような部屋だった。 壁に二輪車の写真、棚に小さな車の玩具、その脇へ亀を描いた墨絵が一枚。 どれも売り物ではなく、店主が好きで集めてきたものらしい。 顔も知らぬ人の道楽に囲まれて、私は背の高い椅子に掛けた。

昼どきで、卓はあらかた埋まっていた。 仕事の合間らしい男たちが、黙って飯を掻き込んでは、また立って出ていく。 古い家では、卓に着くのは私ひとりだった。 ここでは、私もただ飯を待つ客の一人にすぎない。それが、妙に据わりがよかった。
札はいくつも貼ってある。 飯の菜のほかに、菓子の名もあって、自分の店で焼くのだという。 迷う暇もなかった。隣の男の皿に、照りの付いた鶏が山になっているのが目についた。 同じものを、と私は頼んだ。
板場では、この道楽の主らしい人が、背を丸めて鉄板を鳴らしていた。 注文に返事はなく、ただ手だけが応える。 壁の玩具や墨絵は、この人が長い年月に少しずつ貼ってきたものなのだろう。
運ばれてきたのは、白い大きな皿に盛られた、鶏を焼いたものだった。 玉葱と絡んで照り、別の椀に飯、味噌の汁、小鉢の漬物が添う。 気取りのない、働く昼の一膳だった。

鶏をひと切れ、飯にのせて頬張った。 醤油と、焦げた脂の匂いが、噛むほどに立った。 まわりでも、同じ音がしている。箸と、椀と、短いやりとりと。 気の利いた味ではない。ただ、身の内へまっすぐ届いた。 旅の途中でふいに恋しくなるのは、案外こういう一膳なのだった。
ひとりきりの部屋で得たものとは、まるで違う満ち方だった。 人の声の中で、私はしばらく椅子に凭れていた。
勘定を払い、男たちにまじって外へ出た。 どこからか、田を打つ匂いがした。もう、種を蒔く頃なのだ。 この谷には、その季節の名をそのまま負うた店があるという。 暦がその名に追いつく日を、私はこの賑わいの中で待つのだろう。 腹はくちて、名を呼ばれることもない。そういう昼も、ときには要る。
本日の皿
看板の皿
物語の余韻を、実際に選ぶ一皿へつなぐ。

品書きから
自家製オレンジベイクドチーズケーキ
店で焼く菓子の一つ。オレンジの皮を混ぜたベイクドチーズを、縁を波形にしたタルトの生地へ流して焼き、琥珀色の照りをのせる。金の菓子叉と白い丸皿で供される。定食を出す道沿いの店が、食後の一皿として手ずから拵えるものだという。語り手はこの日は頼まなかった一品。
公開されている店舗情報とメニュー写真をもとに構成。提供内容は季節や仕入れにより変わるため、訪問前に公式情報またはGoogleマップをご確認ください。
周辺図
道しるべ
〒679-3301 兵庫県朝来市生野町口銀谷492
イメージ図。正確な道順はGoogleマップでこの文章は、公開されている店舗情報や来店者の声を参考に構成した創作エッセイだ。 営業時間、定休日、メニューは変更される場合がある。 訪問前に公式情報またはGoogleマップを確認してほしい。