朝来市・生野町小野 / 町屋カフェ
六月九日
売り切れの札と、週替わりの膳
町屋カフェ 和ゆき

めずらしく、昼飯に狙いというものがあった。
暦の名を持つ店で、暦に合わせた膳を食ったのが、つい先日である。 よい昼だったが、思い返せばあれは、少し改まった昼だった。 今日は、町のふつうの飯がいい。 それに、聞いた話が一つある。 東の谷の集落に古い町屋の飯屋があって、自家製の焼豚を重ねた丼を食わせるという。 丼である。改まりようのない飯である。 今日はそれと決めて、私は宿を出た。
道は市川に沿って、東へゆるく上っていた。 上りといっても、息の変わるほどのものではない。 小野という集落で、北の谷から下ってきた川と、東の谷の沢とが出合っている。 店はその出合いのそば、道ばたに低い軒を連ねた町屋の一軒だった。
戸口に緑の布が掛かり、白く抜いた紋の脇に、和ゆき、とある。 軒下の鉢で紫陽花が青く咲きかけ、隣の木は赤い実をつけていた。 戸の脇の黒板に、白い字の献立が出ている。 週替わりの膳がひとつ。その下に、狙いの丼の名も、ちゃんとあった。 よし、と思って格子の戸を引いた。

百年を超すという家である。 黒い箪笥が壁に沿い、木の卓の向こう、硝子戸の先に坪庭の緑が見えた。 卓に着いて、丼を、と言いかけたところで、先を越された。 今日の分はもう仕舞いました、と、すまなそうに言う。 数を決めて拵える丼で、早い日には昼を待たずに無くなるのだという。 狙いは、戸を引いた時にはとうに外れていたのだった。
残るは、週替わりの膳だけである。 それでいい、というより、それしかない。 私は負けを認めて、膳を頼んだ。
坪庭を眺めて待つうち、盆が来た。 主菜は煮込みのハンバーグで、まわりを小鉢が取り巻いている。 大根のなます、出汁巻たまご、甘長唐がらしの炊いたん、蓮根のまんじゅう、自家製だという薄切りのハム。 それにサラダと飯、椀の代わりに、新玉葱の冷たい洋風の汁が付いた。 和の菜の並びに、横文字の汁が一椀まじっている。 狙いの丼のことは、盆を眺めるうちに、もう半分どうでもよくなっていた。

ハンバーグは箸で切れた。 煮汁の染みたところを飯にのせると、これが良い。 なますで口を洗い、出汁巻に戻り、唐がらしの炊いたんで、また飯へゆく。 冷たい汁は、新玉葱の甘さが澄んでいた。 どれひとつ、私が選んだものではない。 選んだのは店で、私はただ、敗けてここに座っている。 それが、うまいのだった。
膳を平らげて表へ出しなに、黒板へ目をやった。 丼の名の上に、小さな札が掛かっている。 売り切れ、とある。 今日の私のような者が、この後も来るのだろう。 狙って取った飯より、敗けて手渡された膳のほうが、後を引くことがある。 紫陽花の青が、日を受けて明るかった。 負けた昼にしては、上出来である。
本日の皿
看板の皿
物語の余韻を、実際に選ぶ一皿へつなぐ。

品書きから
自家製チャーシュー丼
黒い丼に、種類の違う三種のチャーシューを幾枚も重ね、半熟の味付け玉子と紅生姜、小口ねぎをのせる。数を決めて仕込む丼で、早い日には昼を待たずに売り切れるという。語り手がこの日は食べそこねた一品。
公開されている店舗情報とメニュー写真をもとに構成。提供内容は季節や仕入れにより変わるため、訪問前に公式情報またはGoogleマップをご確認ください。
周辺図
道しるべ
〒679-3324 兵庫県朝来市生野町小野1758
イメージ図。正確な道順はGoogleマップでこの文章は、公開されている店舗情報や来店者の声を参考に構成した創作エッセイだ。 営業時間、定休日、メニューは変更される場合がある。 訪問前に公式情報またはGoogleマップを確認してほしい。